小和田哲男さんのプロフィール(本書の紹介文より)
1944年 静岡県生まれ。 1972年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。2009年3月、静岡大学を定年退職。静岡大学名誉教授。研究分野は日本中世史。
著者の作品
「お江と戦国武将の妻たち」「呪術と占星の戦国史」「黒田如水」「明智光秀・秀満」「名軍師ありて、名将あり」「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」「家訓で読む戦国 組織論から人生哲学まで」「戦国武将の叡智」など。
作品の背景
日本の古典には、鬼が“実話”として記録されている。なぜ鬼は、人々を苦しめたのか。そして、鬼とは一体誰だったのか。『鬼滅の刃』のルーツと隠されたメッセージを探る。
概要と書評
第1章 『鬼滅の刃』前史① 人類の捕食者 鬼の誕生
9世紀ごろの鬼の正体について、著者は、『(日本書紀などの登場する鬼)の多くは、権力者によって卑しめられた抵抗勢力だったり、社会秩序が及ばない山中などに棲む特殊技能を持つ人々、恨みを抱くあまりに狂気を宿した人々であることが多い。』
と述べている。そして、『頭にツノが生え、虎のパンツを穿き、金棒を持つ鬼は近世に入ってから生まれた比較的新しい鬼の姿である。』という。したがって、『鬼滅の刃』の鬼たちの姿は、人間社会から「異質なもの」=「鬼」としてみなされた日本の古典的な鬼の姿だと述べている。
『鬼滅の刃』の設定と古代の島根県の岩見神楽の演目の「塵輪」に登場する鬼たちとの共通点などの話は、今更ながら「そうだったのか、日本史の授業で教えてくれ!」と叫びたくなる。
7世紀ごろの鬼は、血鬼術のような妖術を使うようになる。これは、鬼の特徴が、「身体能力(のすごさ)」から「妖術」へ、その脅威が変化したといえよう。
今も生き続ける鬼の子孫が営む「宿坊」があるという話は驚きでしかない。
第2章 『鬼滅の刃』前史② 実録 人類VS.鬼
平安時代の後期、ついに人間は鬼に喰われる身から斃(たお)す側へと変貌してゆく。武士の台頭である。
鬼退治と言えば、坂上田村麻呂ということらしい。
この坂上田村麻呂のほか、『鬼滅の刃』に出てくる鬼のモデルが、「リアル黒死牟」といったタイトルで次々と紹介されているが、これは『鬼滅の刃』の作者が、この本の著者並みに研究をされていたということであろうか。そうだとしたら、なかなかのものである。
また、鬼ばかりではなく、鬼退治をしたというリアル鬼殺隊の存在についても、いくつものモデルが紹介されている。
そして、鬼舞辻無惨と共通する鬼のモデルもいるのだ。なんとこれほど鬼の日本史があるとは驚きである。
さらに、15世紀、甲斐の国の大頭魔王の使いと化した阿弥陀仏を、「人を助ける仏が人を喰らうとはけしからん」と怒り、仏を粉々にしたと言う土岐元貞とは、如何なる強胆の持ち主だったのかと興味が湧く。
鬼を切った名刀の章では、日本人にとっての刀が、西洋人の拳銃のごとく感じられた。生まれた時代が違えば、刀を極めてみたくなったかも知れない。
第3章 隠された鬼滅の暗黒史 『鬼滅の刃』は、鬼VS.鬼の戦いだった
鬼とは、社会秩序からはみだした人間であり、「絶対悪」とはいえない存在にもかかわらず、鬼として扱われ、一方的に討伐された者たち(獣、疫病、災害を含む)である。
『鬼滅の刃』の鬼殺隊も、町や村などのコミュニティに属さないが、狩猟・薬草探し・芸人・製鉄・漂白民などの外部者として蔑まれているのである。彼らも鬼の血鬼術に対して、呼吸とよばれる特殊能力を持ち、普通の人から見れば、鬼のような人たちなのである。ゆえに、本章のタイトルとなる。
実際の大正から昭和までの日本には、上記のような埒外者がたくさんいて、その例がこの章に記されている。
第4章 新考察 『鬼滅の刃』の謎
『鬼滅の刃』がヒットした理由、新型コロナとの関係?、なぜ『鬼滅の刃』の鬼たちは異形の目を持つのか、なぜ鬼殺隊の最上位は「柱」と呼ばれるのか、なぜ能力者に痣が発現するのか、など知りたいと思っていたことの著者の答えが書いてあり、読み応えがある。
第5章 鬼とは何か
もともと鬼という漢字は、死者の霊魂を指す。海の彼方や山の上にこの世と異なる世界があり、人間の魂は死後にそちらに移ると言われ、それらも鬼のひとつである。
鬼にもいろいろあって、神としての鬼、山に棲む鬼(天狗)、「仏」の世界の鬼、「恨み」から生まれた鬼、権力への抵抗勢力などがいたのである。そうであれば、現代においては暴力団や半グレ集団は、鬼と言ってもよいかも知れない。
あとがき 鬼は滅んだのか
『鬼滅の刃』における鬼は、鬼舞辻無残が斃されて、無残から血を分けられた全ての鬼は死んだ。
最終話では無残を鬼に変えた「青い彼岸花」が見つかったことになっている。ということは。。。
現代においては、人は異質なものへの防衛反応により、他者に対して攻撃的になる。「自粛警察」などは、自分を肯定して他者を否定する「鬼」である。鬼は現代社会の人の心の中に、たしかにまだ、存在する。
〆