『人間のしわざ』 青来有一

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『人間のしわざ』 青来有一 あらすじ 感想

目次

はじめに

この作品は、男性が元戦場カメラマンとして紛争地を歩き、そのむごさを写真に収めてきた人物を描いています。彼の脳裏には、郷里の長崎で目にした教皇ヨハネ・パウロ二世の姿が繰り返し現れます。広島で「戦争は人間のしわざです」と語った人物を囲む群衆に、男性はかつて長崎で命を落とした殉教者たちの姿を重ねます。戦後70年に切り込む衝撃作として、この小説は紛争の世紀に問いかけます。(ネットの情報より)

あらすじ

第一話 人間のしわざ P5~P120

登場人物
・わたし、女
・あのひと、戦場カメラマン
・あのひとの息子
・あのひとの奥さん

わたしとあのひとは、大学生だったとき以来、三十年の時とそれぞれの家族を経て、いま同じベッドで寝ているらしい。

あのひとは、戦場で過酷な写真を撮り、妻は亡くなったらしい。五年前に。

戦争は、「人間のしわざ」で、地震は「神のなせるわざ」

『どこの家もだんだんと崩れていくのは人間がいずれは死んでいくのと同じなのかもしれない』
我が家もそうなのか、と自分を見つめ直す。
妻とのことや、息子のとの関係など、よく似た状況は一般的なのかもしれない。

嫉妬、生き残ったのは自分の方で、あのひとの妻はもうこの世にいない。でも・・・。

あの人もまた、愛人がいたという妻に嫉妬し、その男を殺したいとまで言うが、そんな二人はいまおなじベッドの中である。

そして、雪の日のミサの最中、ひとりで人々が並ぶ楕円形のグラウンドの列に並んでいたとき、黒焦げの老人が見えた話をする。

何が何だか、時間も場所も良く分からない。

その老人の娘は、役人と輩に裸にされ、何度も突かれた。切支丹は皆殺しにせんばいかん。
どうして、切支丹と思われたのか。(ここは長崎なのか)

そういえば、今日、と言って、あの人は息子のことを話し出す。

息子の部屋には、あの人が撮った戦場の、人間が腐っていく写真が壁にたくさん貼ってあったうえ、ノルウェーで銃を乱射して七十人以上の若者を殺害した犯人が銃を構える写真があった。

息子はテロリストだった。

息子は、パパの写真で儲けた金でテロを計画していたらしい。
パパもいつか、有名になって写真集を出したらピューリッツァ賞も夢ではないかも、タイトルはヨハネ・パウロ二世のことばを借りて「人間のしわざ」・・・・

人間が人間を殺戮する戦闘の最中、「(神様)あなたはいったいどこにおられたのか?」
と聞きたかったが、その反論または答えはもう黒焦げの老人の問い「なにか忘れて暮らしていることはないのか?」にあったのだとも思えた、というのか。

あの人の話は、第二幕へと続いた。

信仰のために捉えられた人々の行列が現れたという。(現実だったのか妄想なのかもうわからない)

わたし(読者のわたしではなく)が思ったのは、この本の表紙を飾る、大原美術館でみた「信仰の悲しみ」という油絵。

あのひとが思い出したのは、少しちがって、「女のはだけた胸から・・・白くつややかな・・・が飛び出していて・・・列を見物している人々は、切支丹の妖術かと怯えていた」ことらしい。

話はバグダッドの空爆。
「ぼくが告発しようと思っていた人間のしわざとはなんだったのか、それはほんとうは誰のしわざだったのか。・・・ぼくは人間であるのだから人間のしわざはぼくのしわざということにもなるだろうね・・・・・・」

あの人は、息子と仲間たちが、6.11に世界中の原発を一斉襲撃する計画を立てているという。

息子は親に構ってもらいたくて、あの人は息子に話しかけたいのだが、「なんと話しかけたらいいかわからないんだ」という状態。

第二話 神のみわざ P121~P184

登場人物
・ぼく
・ぼくの息子

タイトルが変わったから、全く違う話が始まるのかと思っていたが、そうではなかった。

なぜか息子は、じぶんであるカメラマンの、助手として働いている。

ぼくは、前章の女と別れたつもりのようだが、その女からときどきメールが届くらしい。

干潟での写真を撮っているのだが、その途中途中で戦場やミサの様子が蘇ってくるようで、なかなか読む方もしんどい。

そして、ミサのとき、雪が降ったことを「雪もこの寒さも神のみわざであり、だが、それは試練ではなくて恩寵であるのだ」と信徒たちは思っているのだろうか。

いや、雪・雷・豪雨・火山の噴火・地震・津波・洪水などは、自然のしわざである。

ぼくは、かつて戦場には行かず、写真館を経営しようと妻を安心させかけたが、紛争地の取材のオファーを受けてしまい、結局、妻を落胆させたことを思い出したりした。

だが、それも生活費を稼ぐためだった。

『神がこの地の信徒たちを自らにささげられるべき生贄の子羊として選んでくださったのだ、われらの母が、祖父母が、幼い息子や娘が八月の光に焼き尽くされたのは虫たちの無駄な死ではなく、神に召されたので・・・・・・、彼らがあれほどに苦しんで息絶えたのは、世界大戦の罪の償いとして、・・・・・・』

ヨハネ・パウロ二世も、そんな考えは肯定しない。
「神は、あなたがたを試したりはしません。愛するひとびとを生贄の子羊として・・・奪ったりはしません」

ぼくは、あの人(ヨハネ・パウロ二世)を崇拝しており、息子との干潟の撮影も狂気じみてきて、息子も手に負えない感じで苛立ってくる。カメラが雨か干潟の泥でダメになりそうなくらい這いつくばって。

ダメだ、そっちじゃない、父さん!

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感想

人間のしわざ


戦場カメラマンの男とかつての恋人だった女が語り合う三十年の記憶、思い違い。
これは、ある一夜の物語だと思われるが、語られた内容は三十年の歳月を感じさせるもの。
ただ、記憶と妄想、男の記憶と女の記憶が、ベッドでの行為のように入り乱れて、なんとなく分かるというレベルの感じだ。

人間のしわざとは、愚かな戦争やテロのことだが、遠い昔の長崎の切支丹の話も出てくるので、そういう宗教弾圧なども含まれるだろう。

悲惨な写真を撮りすぎた経験と妻に裏切られ、子どもには何もしてやれなかった男と、

男へのあてつけで別の男と結婚したものの、その男が若い女と浮気をする、成人した娘たちからも見て見ぬふりされる女。

このふたりが、どうしてか物語の最初からベッドインしている状態なので、まあ、そういうことだろう。そういうことというのは、現在そんな状態の二人が、ほんとうの気持ちが三十年ぶりに通じ合った結果なのだろう、と思う。

この二人より、長い人生を過ごしてしまっている読者の自分は、まだ働いているが、このごろ人生を振り返ることが多くなったような気がしている。

神のみわざ


戦場カメラマンが、問い続けているのは、ヨハネ・パウロ二世がヒロシマで行ったスピーチでの「戦争は人間のしわざです」という言葉である。

ナガサキでも同じ悲劇が起こった。切支丹の信仰と、原爆の苦しみに神は何もしてはくれなかったという思いとの葛藤があるようだ。

信徒は、原爆の苦しみを、「神のみわざ」だと思うことで、苦しみを乗り越えようとしたのか。
信徒でない私は、あまりにも被害が甚大すぎて、「神のみわざ」とは、とうてい思い込めない。

息子に、プロカメラマンとしての修業を科すかのような主人公の干潟での行動は、戦場にいるのか区別がつかないのだ。心療内科を受診しているようだから、どこでも戦場になってしまうようだ。

戦争は、当事者ではないカメラマンでさえも、その精神に大きな影響を及ぼしたのだ。

青来有一さんのプロフィール

1958年長崎市生まれ。長崎大学卒。1995年「ジェロニモの十字架」で第八〇回文學界新人賞、2001年「聖水」で第一二四回芥川賞、2007年『爆心』で第一八回伊藤整文学賞、第四三回谷崎潤一郎賞を受賞(WEB上の紹介文より)


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