はじめに
2014年2月にウクライナ領クリミア半島を電撃的に占拠して世界を驚かせた。合わせて原油価格の下落でロシア経済が危機的な状況になる中で、強硬な外向きの姿勢を取り続けるのはなぜか。これを考えるには「ロシアの行動原理」を理解しなければならない。
あらすじ・拙評
序章 プーチンの目から見た世界
1991年ソ連邦が崩壊した。プーチンがKGB(国家保安委員会)を辞職してまもなくのことであった。
2000年、大統領になったプーチンは、衰えた国力を向上させようと、資本主義に近づけようとしたが、GDPは縮小し、人々の生活は困窮化した。日々の糧を得るために副業や汚職が横行し、マフィアが跋扈した。この結果、ロシア国民は「自由」とは「無秩序」のことだという不幸な理解をしてしまったのである。(P15)
そして、広大な面積ゆえ、ロシア連邦自体がソ連時代から分裂の危機を迎えていたのである。チェチェン共和国は、すでに1994年から独立を主張。多くの連邦構成主体が、連邦政府に対して権限移譲を迫って来ていた。各連邦構成主体が採択した多くの法令は、半数が連邦憲法及び連邦法に違反していたという。もうそれぞれ別の国なのではないか。日本で言えば戦国時代のような状況かもしれない。そしてロシアは、まだ分割独立の途中なのかも知れない。(P18)
プーチンは、「我々のまだ若い民主主義」と語り、民主化を進めようという意識が垣間見られた。一方で、このような貧困を招いた原因は、ソ連時代にあった、モスクワの中央政府を頂点とした厳格なヒエラルキーが崩壊した結果であると理解している点にも注目すべきである。(P21)
ここからが、大事なポイントである。ソ連が崩壊し、軍事ブロックであるワルシャワ条約機構であるコメコン解体で、ロシアは東欧の駐留軍は1994年までに撤退した。
そして、米国とともに冷戦終結を宣言したソ連には、「敗北」したという意識は希薄であり、「共通の勝利」という意識が強かったのである。
一方、西側諸国は、ソ連が冷戦に敗北したと理解した。ソ連の欧州からの撤退は、社会主義という「誤った」体制に、西側の「自由民主主義」体制が勝利した結果だと理解されてしまったのである。(P35)
であるから、共通の勝利である冷戦の終結後、ワルシャワ条約機構が解体したにもかかわらず、なぜNATOが存続しているのか。くわえて、なぜNATOが旧ソ連の「勢力圏」であった諸国へと次々に拡大していくのか。これこそが、ロシアが西側に抱く不満と屈辱感の原因なのである。(P36)
ここまで読んだだけでも、(この本が2016年10月に発刊されたものではあるが)2022年4月現在、プーチンがウクライナのNATO加盟の動きをきっかけに牙を剥いた理由は説明されていると感じる。もちろん戦争は肯定できるものではない。
また、ロシアは西側から屈辱的な扱いを受けていた。1999年のNATOによるユーゴスラヴィアへの空爆は、国連決議を経ずに実行されており、国連安保理における常任理事国としての立場がなかったのである。(P37)
数々のロシアの譲歩に対し、西側は冷戦の敗者として当然という対応を取り続けた。(P40)NATO(だけの)拡大は、ロシアから見れば、同盟の近代化や欧州の安全保障とは何の関係もなく、むしろ、相互の信頼レベルを引き下げる深刻な挑発であると映ったのです。(P43)
ロシアにとって「歴史的空間」である旧ソ連諸国は、別格の勢力圏であり、この地域へのNATO加盟は断固認められないものであり、この戦争(2008年グルジア戦争)の責任は、その勢力圏を無遠慮に侵そうとした西側にあるということになる。(P48)
一方、ウクライナやグルジアにとっては、ロシアの影響圏から外れて、より豊かで安全に映る西側の庇護下に入ることがNATO加盟の目的であり、ポーランドや米国の目から見れば、順当な動きと捉えられていた。(P49)
この辺の、ちょっとした感覚の違いは分かるような気もするが、その動きを止められないと分かったときに、拳を振り上げてしまうのがロシアであり、ロシアにとっても悪循環となってしまうのは、つらいところであるが、ウクライナのNATO加盟を容認してロシア自体が民主化に向かうという方向に目が向けられないものだろうか。大統領の若返りがいいと思う。
そして、米国自身も、このロシアの「勢力圏」思想に敏感になるべきであると思う。
また、ロシアから見るとNATOは他国の政治に介入し、政権転覆まで支援していると映る。2011年に始まった「アラブの春」でNATOはロシアの友好政権であるカダフィ政権を転覆させ、ロシアが安全保障上の大きな脅威と認識しているイスラム過激主義勢力の温床となる不安定地域を作り出したことがそれにあたる。
「ユーラシア連合」構想にウクライナは欠かせない。この構想は欧州にとってのEUである。(とはいえ、英国が離脱しているが…)
欧州でロシアに次ぐ第2位の国土面積を有し、4,000万の人口と大規模な農業・工業力を有するウクライナがロシアの影響圏内に留まるかどうかはロシアにとって死活的な意味合いを有していた。(P62) これが、今回のウクライナ侵攻につながったことは想像に難くない。
第1章 プーチンの 対NATO政策
ソ連崩壊後、ロシアの軍事力は急速に低下し、徴兵逃れが横行し、ハイパーインフレで軍人は生活できなくなっていた。(P69)
ウクライナは、兵器や核戦力の要であり、その独立でさらにロシアの産業ネットワークが分断されたことになる。
NATOとロシアの兵力比較であるが、2016年時点でNATOが325万人に対し、ロシアは90万人である。このことから、軍事的なバランスにおいてロシアは決して優位ではないことが分かる。(P85)
2014年にロシアが用いた手法は、覆面したロシア軍兵士をクリミア半島に送り込み、現地の親露派住民や民兵を動員し、公式には戦争ではなく、内戦状態を作り出しており、ゲラシモフ参謀総長の論文によれば、「このような新しいタイプの紛争の社会、経済、政治的カタストロフの結果は、本物の戦争と比肩しうるものである」といえると言っている。
ロシアは、もはや正面きってNATOと対峙することはあきらめ、上記のような特殊部隊を増強して脅威に対抗しようという戦略をとることを選択したのである。これを「ハイブリッド戦争」と呼ぶ。
冷戦後にロシアが関与してきた軍事紛争は、いずれも黒海周辺地域に集中している。これらの地域に軍事介入した場合、米国による逆介入の恐れがあった(P96)が、2022年のウクライナ侵攻では、米軍は経済制裁を科すのみで、軍事介入をしないため、ロシアは侵略を続行するという事態に陥っている気がしてならない。米国は何を考えているのであろうか。
第2章 ウクライナ紛争とロシア
ここには、第1章で述べた「ハイブリッド戦争」の具体的な遂行方法が記載されているが、詳細は割愛する。
第3章 「核大国」ロシア
現在の米ロの核戦力を規定しているのは、2011年に発効した新戦略兵器削減条約(START)である。
しかし、この条約が締結された時点で、ロシアの核戦力はその保有上限を下回り、米国に対して大幅に劣勢であった。
ICBMで比較すると、2020年でロシアは160~180基に対して、米国は450基であると想定されたが、実際は、核弾頭の数はロシアが米国を上回っているのである。(P140)
通常の戦力がNATOに対して劣勢である以上、ロシアは今後も核による威嚇を続けるだろうから、これを意識しておく必要がある。
第4章 旧ソ連諸国との容易ならざる関係
ロシアの兵力は、NATOと比すれば劣勢であるが、旧ソ連諸国との比較においては、ロシア1国でも旧ソ連諸国を上回り優勢なのである。
これまで多くの問題を抱えながらもロシアとの関係を維持してきた旧ソ連諸国の指導者たちが、そろそろ肉体的な限界に近付いているということは、ロシアにとって好ましくない方向へと世論が一気に流れる可能性があるということである。
第5章 ロシアのアジア・太平洋戦略
プーチンは、「ロシアは基本的にはヨーロッパの国である」と述べているが、国土はアジアにまで広がっている。ロシアのアジア戦略はどうなのか。
全国土の36%を占める極東部には、全人口の4%ほどしかおらず、アジア・太平洋地域との関係強化なくしては、極東の衰退は止まらない。
プーチンは、極東の振興に力を入れ始めて、起業家には土地を優遇するなどの施策を打ち出したりしているが、この中に北方領土が含まれている。
また、2014年以降のウクライナ危機でロシアが西側諸国から政治・経済的に孤立傾向を強め、中国の存在感はさらに大きくなったのである。
とはいえ、中露も、もともとは国境紛争していた歴史もあり、すんなりと仲がいいわけではない。その関係はパートナーレベルのテロ対策や貿易であって、安全保障などの機微な問題に関しては中露の国益が一致しないため「同盟」は難しいのである。
ところが、2015年、ウクライナ東部で非公式の軍事介入を続けることに反発して、G7首脳が対独戦勝記念式典への招待を軒並み断ると、中国の習近平国家主席はモスクワを訪問し、中国が進める「一帯一路構想」とロシアの「ユーラシア連合構想」を連携させることや、大規模投資、航空機の共同開発といった大型協力案件を持ち掛け、合意を結んだのである。さらに、軍事の面でもロシアの最新鋭兵器の対中供与が拡大していく様相となっている。
ただし、その力関係はといえば、中国のGDPは約11兆ドルなのに対し、ロシアのそれは1.3兆ドルに過ぎないため、ロシアが中国に一方的に利用されることが懸念される。
なお、日本はG7の中で唯一の非NATO加盟国であり、西側との関係改善を進める上で、ロシアにとって対日関係に少し期待した面もあったはず(P191)だが、今回のウクライナ侵攻に対して日本が取った制裁行動は、このロシア側の期待を打ち砕くものであり、より一層、北方領土問題の解決が厳しくなったと言えよう。
ロシアがオホーツク海で強化しているのは、米軍の接近を阻むための「接近阻止・領域拒否」すなわちA2/D2能力である。
なぜなら、オホーツク海は太平洋艦隊の原子力潜水艦が潜伏するパトロール海域で、核抑止力を担保する上で、戦略的に重要だからである。
また、中国の北極海進出も、実はロシアにとっても脅威という面もある。
第6章 ロシアの安全保障と宗教
宗教の否定されていたソ連社会は、ソ連崩壊で「宗教の復興」という波にさらされ、数で言えば、ロシア正教(キリスト教)が6,100万人で40%、次はなんとイスラム教で940万人、ロシア正教以外のキリスト教が630万人、先祖崇拝・自然崇拝が170万人、(チベット)仏教が70万人の多宗教の国である。
この章では、宗教という切り口でロシアの安全保障が語られている。
たとえば、2001年、米国同時多発テロ事件を機に対テロ戦争が始まり、イスラム過激主義による活発な武装闘争の展開を懸念したプーチンが、中央アジアへの米軍駐留を認めた背景には、対米関係の改善だけでなく、イスラム過激主義勢力の脅威を西側の軍事力で押さえ込ませるという狙いがあったとみられる。
このようにロシアは、宗教による不安定性を抱え続けているのである。
第7章 軍事とクレムリン
ここでは、軍や情報機関をめぐる政治とクレムリンとの関係を見ていく。
前の大統領のエリツィンのとき、KGBはクーデターを起こしたが未遂に終わり、この結果、エリツィンはKGBを解体後、組織を分割してその弱体化を図った。その代わり力を得たのが内務省であった。
プーチン政権になると、分割されていた旧KGB機関を連邦保安庁(FSB)に統合した。そして18万人を擁する連邦国境庁を再編入し、冷戦時代の軍事力を取り戻したのである。また、5万人を擁した通信傍受や暗号を担当する連邦政府情報通信局(FAPSI)が解体され、その主要部局がFSBの傘下となった。
さらに、大統領特別プログラム総局(GUSP)は、有事の際の政府機関用シェルターの建築・維持・運用などを司っているが、この組織の長官は代々、FSB出身者が就任していることから、FSBの強い影響下にあると考えられる。(P255)
プーチンは、軍の改革によって、ロシア軍の作戦遂行能力を立て直し、コントロールしようと試みるが、歴代軍人は政治・経済に関心が低く、保守的な人物が多かったため、プーチンの思うようには立て直せていないのである。(P261)
FSB(連邦保安庁)対FSKN(連邦麻薬取締庁)、シロヴィキ同士の関係、軍とFSBの関係、組織内の個人の関係には、一定の派閥のようなものがあり、一枚岩ではない。(P271)
ロシアは、その領土の広さゆえに、ロシア連邦軍以外にも、ロシア連邦国家親衛隊をはじめとした軍事力が必要であり、それはまたそれで、内部に対立の危険性も内包しているのである。
第8章 岐路に立つ「宇宙大国」ロシア
ソ連は世界で初めて人類を宇宙に送り出したが、ソ連が崩壊してから、経済的苦境のため、宇宙産業や活動も崩壊しかかっているのではないか。
宇宙の軍事利用といえば、偵察衛星であるが、この数が十分ではなく、24基あった軌道上の偵察衛星は8基に減少し、軍事作戦に必要な宇宙作戦能力を欠いてしまっている。(P288)
1991年の湾岸戦争は、米軍初の「宇宙戦争」と言われる。戦争にGPSや通信衛星をかつてない規模で活用したということだが、この意味でシリア戦争がロシアにとっての初の「宇宙戦争」であった。(P293)
とはいえ、米国とロシアの軍用地球観測衛星の数を比較すれば、数も性能も米国が優位である。こうした状況でロシアは、かの「非対称」アプローチ、すなわち真正面からの対抗はしない道を選ぶのである。その方法は、衛星を打ち上げ(られ)ない代わりに、米国の衛星の能力発揮を妨害するという姑息な手段を選択するのである。
これに対して、米国では、妨害環境下でもGPSを運用する方法やGPSに代わる位置把握手段などの研究がすでに始まっている。これは、ロシアと同様なことを企む中国に対しても有効である。
この状況に加えて、ロシアの宇宙開発は、別の課題も抱えていた。総合的な技術力や人材の質の低下である。設計ミスや部品の劣化が多くなった。
また、部品や基地なども外国(とくにウクライナ)に依存しており、これを解決するためにプーチンは国内の基地建設を指示したが、お決まりの汚職により工事はさっぱり進まないのである。
考えて見れば、プーチンも気の毒な男なのかも知れない。NATOなどの外圧との対応に加え、内政、経済、人事なども各立場の組織・人が対立しており、この国に民主主義を展開し、かつ人々の暮らしを良くするというのは大変で孤独であろうと推察する。
結び
はじめにで書かれたように、ロシアを理解するには、彼らのルールブックに何がどう書かれているのかを知ることである。
おわりに
ここには、創刊された2016年10月の状況下で、次のように書かれている。「ウクライナ危機にどう決着をつけ、危機後の欧州の安全保障秩序をどのように再編するのか・・・」
著者の小泉悠さんがこの本で解説されたように、2022年3月からのロシアのウクライナ侵攻のきざしは、もともと危機として2016年時点でも存在したのである。
われわれ、アジア諸国や西側諸国がこの危機に鈍感であったのではないか。東京オリンピックや冬季北京オリンピックに気を取られたか。
とにかく、この本を読んで、ロシアを少しでも理解し、その気持ちを知ることが平和に繋がるのではないかと感じた。
ウクライナ侵攻をまずは止めて、真剣に話し合ってほしいと思う。
小泉悠さんのプロフィール(本書の紹介文より)
1982年千葉県生まれ。早稲田大学社会科学部、同大学院政治学研究科修了。政治学修士。民間企業勤務、外務省専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所(IMEMO RAN)客員研究員などを経て、現在は公益財団法人未来工学研究所で客員研究員を務める。ロシアの軍事・安全保障を専門としており、特にロシアの軍改革、ハイブリッド戦略、核戦略、宇宙戦略などに詳しい。テレビ、ラジオなどのメディア出演も多い。ロシア生まれの妻と娘の3人暮らし
著者の作品(Amazonの商品説明文より)
主著に『軍事大国ロシア 新たな世界戦略と行動原理』(作品社、2016年)があるほか、『軍事研究』誌等でロシアの軍事・安全保障に関する分析記事を執筆している。テレビ、ラジオなどのメディア出演も多い。
〆